「さいたま市10区の歴史と文化」(⑨南区)
さいたま市南区に、佐々目郷(中世の郷・さいたま市の西南部から戸田市の北部)があり、鎌倉の鶴岡八幡宮の所領でありました。 中世では入間川(現荒川)の左岸で、自然堤防地帯で、自然堤防と後輩湿地からなり、居住と水田が近接しているところです。
佐々郷は、八幡宮の重要な所領として、天正18年(1590年)まで続きますが、応永元年(1394年)から6年にかけて、佐々目郷の農民は、年貢減免の闘争を起こした記録があり、この地の住民自治が芽生えたことも知られています。
これは特に、荒川(入間川)下流域の水と平原から成り立つ豊かな水田地帯の生産性に裏打ちされた自信からであろうということです。
また、鶴岡八幡宮領の三分の一が南区であったことや、国内旅行である熊野参拝を習慣にして楽しんでいたという記録もあり、裕福な土地であったことがうかがえます。
その地域の歴史を訪ねていくことや調べたりすることも楽しいものです。
(参考:「さいたま市10区の歴史と文化」・青木義脩先生)
佐々郷は、八幡宮の重要な所領として、天正18年(1590年)まで続きますが、応永元年(1394年)から6年にかけて、佐々目郷の農民は、年貢減免の闘争を起こした記録があり、この地の住民自治が芽生えたことも知られています。
これは特に、荒川(入間川)下流域の水と平原から成り立つ豊かな水田地帯の生産性に裏打ちされた自信からであろうということです。
また、鶴岡八幡宮領の三分の一が南区であったことや、国内旅行である熊野参拝を習慣にして楽しんでいたという記録もあり、裕福な土地であったことがうかがえます。
その地域の歴史を訪ねていくことや調べたりすることも楽しいものです。
(参考:「さいたま市10区の歴史と文化」・青木義脩先生)
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